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90 ST165セリカ サンプル

本日は2台の「Toyota Celica GT-Four」をご紹介します。



皆様ご存知、C.サインツが駆ったST165セリカ。90年のシーズンを通してハイライト的でありました初戦のモンテカルロと、第9戦の1000湖仕様の2台になります。89年の1000湖ラリー以降、常にトップ争いに加わるようになったC.サインツは90年、アクロポリス・ニュージーランド・1000湖・RACで勝利を収め、見事この年のドライバーズチャンピオンに輝きました。デビュー3年目のST165はメイクスタイトルこそ敗れましたが、高い勝率と入賞率を誇り、90年は常勝ランチャの牙城が揺らぎ始めたシーズンでもありました。





カーナンバー4のこちらは優勝した1000湖仕様。ラリーはランチャがアクシデント/トラブルで後退し、サインツとA.バタネン・K.エリクソンのギャランVR-4との争いになりました。最終的にサインツはバタネンに対し19秒差をつけて優勝。90年で40回を迎えた今大会はそれまでの"スカンジナビアン以外は優勝できない"というジンクスが破られた1戦でもありました。
1000湖ラリーではタバコ広告が禁止のため、セリカもこのイベントではストロボタイプのロゴとなっています。





そしてこちらはモンテカルロ仕様です。90年のモンテカルロは雪の無いドライターマック。ラリーはランチャのD.オリオールとの争いになりました。2人の争いは最終日までもつれ込み、僅差でしたが、終盤に突如オリオールがペースアップし、優勝。サインツは惜しくも2位となりました。これについては終盤にランチャがターボのエア・リストリクターを取り外して走行したのではないかとの疑惑が持ち上がるほどで、ラリーは後味の悪い灰色の結末となりました。
モデルはフロントにベーンを装着し、埋め込み型ランプの初期の顔付になっています(ライトがリトラクタブルタイプに変更したのは90年サファリから)。また90年のモンテカルロでは常時バンパーにフォグランプを装着して走行していました。1000湖ラリー仕様と比べてもパッと見似ていますが細部のロゴマークはだいぶ異なっています。



そしてこちらが共にライトポッドを装着した、ランチャデルタとの1-2の2台セット仕様です(チュリニ峠仕様ともいえるでしょうか)。
タイムリーに見ていたせいもあるかもしれませんが、やはりこの頃のラリーカーは今見てもいいですね。特にST165セリカは印象に残っていてC.サインツというとST165のイメージがあります。
今回のモンテカルロ仕様のST165については恒例のデカール・キャンペーンも予定しております。そちらもお楽しみください。それではまた。

ベルリン2000 190Eサンプル

本日は「Mercedes-Benz 190E #5/#6 1992 DTM」の量産サンプルをご紹介します。



ソナックスカラーと共にAMGワークスのベルリン2000カラーになります。こちらは「2000年のオリンピックをベルリンで」という招致活動の一環のカラーリングでした。シルバーベースのボディには沢山のサインが埋め尽くされています。おそらく、趣旨に賛同された方々のサインではないかと思います。





カーナンバー5は女性ドライバーのエレン・ロール。男顔負けの走りで第9戦のホッケンハイムでは優勝を飾り、92年は年間ランキング11位の成績を残しました。モデルはリアフェンダー上部にノキアのロゴが追加された中盤戦以降の仕様となっています。



そしてこちらカーナンバー6は82年のF1チャンピオンでもあるケケ・ロズベルグがドライブ。前年の91年はプジョー905でスポーツカー選手権を戦っていましたが、92年はDTMに参戦。ロズベルグは第6戦のヴンストルフで優勝し、数度の上位入賞を重ね年間ランキングは5位でした。他車両同様ベルリン2000でも識別のためフロントウィンドー上部の色が異なっています。



最後は92年仕様の3ショット。どのカラーリングも個性的だと思います。92年当時私はまだ中学生でしたが、カーグラフィックTVを録画して何度も見てましたのでこの年の3台は非常に印象に残っていました。ベルリン2000カラーもすでに販売を開始しているかと思います。こちらも是非ご購入して頂きたく思います。

日曜日は静岡ホビーショー最終日ですね。190Eも含め今後のアイテムを複数展示しています。ご来場される方はお楽しみください。それではまた。

2000GT 日本GP (#15/#17) サンプル

本日は「Toyota 2000GT 1966 Japan GP #15/#17」の量産サンプルをご紹介します。



1966年 富士スピードウェイにて行われました、第3回日本GPの時の2000GTになります。
当時プロトタイプクラスとしてライバルであったプリンス R380やポルシェ カレラ6がレース専用のミッド・エンジンに対し、2000GTはフロント・エンジンの市販を前提にしたグランツーリスモ。レース用には不向きとされていましたが、耐久信頼性を確認する名目の公開テストとして、トヨタ自動車は前年に東京モーターショーで参考出品された車両を、この日本GPの為に徹底的に改造を施し、レースに挑みました。



赤い15号車は細谷 四方洋選手がドライブした車両です。レース前の予想では上位入賞は困難と考えられていましたが、無給油作戦が当たり見事3位入賞を果たしました。基本シルエットこそ2000GTになっていますが、形状は市販車とは全く異なり、またスピードトライアル車両とも形状が異なるのでこちらの車両も新規でボディを製作しています。



アルミボディに変更されたこの車両ですが、太いタイヤをクリアするためにリアフェンダーも大きく張り出しています。リアハッチ内にはスペアタイヤを搭載していますね。





銀色の17号車は田村 三夫選手がドライブ。17号車は予選2番手につけ、スタートと同時に猛然とダッシュして一時トップを快走するも、5週目にコース上に舞っていた新聞紙がラジエーターに貼りつき、これが原因でオーバーヒートにより惜しくもリタイアしてしまいました。15号車とは右側のミラー位置が若干異なり、こちらはウィンドー寄りになっています。



この車両も2000GTのヒストリーを語る上では重要な車両ではないでしょうか。既に市販型をご購入されている方々に是非ともご購入して頂き、両車の違いを見比べてほしいと思います。それではまた。

FINAインテグラ−レ/web限定037サファリサンプル

本日は「Lancia Delta HF Integrale 16V 1991 Sanremo (#1/#7)」とweb限定モデルの「Lancia 037 Rally 1984 Safari (#17)」の量産サンプルをご紹介します。



1991年 サンレモラリー仕様のFINAカラーのデルタ インテグラーレです。トヨタとランチャの激しい戦いとなった91年のWRC。地元イタリアでメイクスタイトルを決めたいランチャチームはマルティニのビアシオン/カンクネンに加え、D.オリオール/D.チェラート/A.アギーニ3台をジョリークラブからエントリーさせ、強力なサポート体制で挑みました。この年、マルティニからジョリークラブへ移ったD.オリオールは勝てそうで勝てないイベントが続きましたが、ここサンレモで本領を発揮し、優勝。2位にはビアシオン、3位にチェラートとランチャが1-2-3フィニッシュを果たし、同時に連続5回目となるメイクスタイトルもここサンレモで獲得しました。



カーナンバー1は優勝したD.オリオールの車両。この頃のサンレモラリーはグラベルとターマックのミックスイベントとして開催されており、オリオールの車両はグラベル仕様になっています。



カーナンバー7の車両は3位となったD.チェラートの車両。こちらはターマック仕様となり、フロントホイールはベーン付き、夜間SS仕様という設定でライトポッドも装着しています。
FINAカラーは以前にもST165セリカでモデル化していますので、こちらの2台も一緒に皆様のコレクションに加えて頂けたらと思います。



そしてこちらはweb限定アイテムとなります、84年サファリラリーのカーナンバー17 V.プレストンJr.がドライブした037ラリーです。ストラトス以来の参加となったランチャチームはこの年M.アレン/V.プレストンJr.の2台体制で挑み、アレンが3位、このプレストンJrの車両も6位でフィニッシュしました。アニマルガードやウィングランプを装着したサファリ仕様は以前モデル化しました1000湖仕様とだいぶ印象が異なりますね。こちらの17号車は更にフロントフォグランプをカバー付きとしましたので、フロント周りは新鮮な感じがします。



エボリューション兇任魯螢▲丱鵐僉爾取り払われましたが、その部分にもサファリ専用のアニマルガードが装着され、ルーフ上にはスペアタイヤが鎮座しています。web特典としてタイヤを固定するバンドも追加しました。



ストラトス・デルタに続く、ランチャのサファリラリーシリーズ。この037でも特有の艤装パーツがふんだんに盛り込まれており、非常に魅力的だと思います。
木製台座を採用した今回のモデル、ご注文は「hpiミニカーホームページ」にて5月8日(火)21:30から受注開始となります。皆様宜しくお願い致します。

2000GT 鈴鹿500km (#60/#61) サンプル

本日は「Toyota 2000GT 1967 Suzuka 500km #60/#61」のファーストサンプルが完成しましたのでご紹介致します。



現在、リリースご案内中のこちらの2000GT。1967年 鈴鹿500km仕様の2台になります。同時に富士24時間仕様の2号車が今回のリリース案内に含まれていますが、その富士24時間レースの2週間前の3月26日に鈴鹿500kmは開催されました。



ホワイトの車両は鮒子田 寛選手がドライブしました、61号車。ポールポジションからスタートして、一度もトップを明け渡すことなく、独走状態のまま優勝を成し遂げました。



レースが開催された3月26日の時点ではまだ市販化はされていなかったため、この時はプロトタイプカークラス(P-)としてエントリーしました。販売目前ということもあり、外観は市販タイプとほぼ同様の形状をしていますが、リアマフラーをはじめ、タイヤ・給油キャップ・センタースピナーなど細部がレース用となっており、内装も市販車とは異なっています。





シルバーの60号車はトヨタのエースドライバーでもある、細谷 四方洋選手がドライブ。60号車はレース開始後僅か6周目でタイミング・チェーン切れが原因でリタイアしてしまいました。60号車はセンタースピナーが黄色となり、また2台ではワイパーの本数も異なっています。サンプルはまだちょっとシルバーの粒子が粗いので、量産時ではもう少し細かくしたいところですね。



ガムテープ止めされたゼッケンなどを見ますと牧歌的な感じもありますが、コンペティションの雰囲気が十分にお楽しみ頂ける2台だと思います。
今後も2000GTのバリエーションはまだまだ続きます。サンプルも順次ご紹介したいと思います。それではまた。

マクラーレン F1 GTR (#33/#34/#53)サンプル

引き続きまして「McLaren F1 GTR (#33/#34/#53) 1996 Le Mans」の量産サンプルをご紹介します。



1996年ル・マン24時間レースに出場しました、2台のガルフカラーのマクラーレンF1です。95年時は濃いメタリックブルーのカラーリングでしたが、96年はソリッドのブルーへと変更されています。





34号車はL.オーウェン・ジョーンズ/P-H.ラファネル/D.ブラバムがドライブ。総合5位フィニッシュしています。33号車はR.べルム/J.ウィーバー/J.J.レートがドライブし、総合9位フィニッシュしました。33号車と34号車では識別のため、ウィンドーのハチマキ部分の色が異なっています。また33号車ではスポンサーロゴが若干増えていますね(ドライバーの個人スポンサーでしょうか)。
先にご紹介しました、95年仕様と比べ、特徴的なライトカバーはもちろん、各部分の形状が変更されています。95/96年仕様で比べて相違点を発見してみるのもおもしろいかと思います。



ウィング翼端版にもロゴマークの有無があります。リア廻りも95年仕様とでは若干異なっていまね。このあたりも好みが分かれるところではないかと思います。



こちらは国際開発レーシングの53号車です。F.ジロワ/J-D.ドルトラス/M.S.サラがドライブし、決勝は11時間目にエンジントラブルでリタイアしています。ライトカバーが盛り上がったこのタイプは決勝時の仕様を再現したもので、KID BOX様特注モデルとなります。



そしてこちらはweb販売となります、予選仕様です(予選は16位でした)。この時はまだライトカバーは平面タイプを用いており、2台比べてもフロントの印象はだいぶ異なりますね。また予選時ではフロント部分のフランクミューラーロゴが白ベースの中が黒でしたが、決勝では逆になりサイドやリアウィング部分と同様になりました。



また予選と決勝ではリアホイールアーチ上のロゴマークの有無があります。この車両に限らず、特にル・マンで多いのが同じ車両でも予選時と決勝時では微妙にロゴの有無があったり、異なっていたりします。モデルを製作する際、まず実車画像を収集するのですが、ル・マン車両はこれが厄介で製作する際に注意しているところです。書籍などでは予選時の画像も多く、車両の綺麗さで判断する場合もあったりします(予選の時はだいたい綺麗な車体をしていますね)。



予選仕様のモデルは4月9日(月) 21時30分より「hpiミニカーホームページ」にて受付を開始します。KID BOX様の決勝仕様と共にこちらのモデルもご購入頂けたら幸いです。皆様、宜しくお願い致します。

マクラーレン F1 GTR (#49/#51)サンプル

本日は「McLaren F1 GTR (#49/#51) 1995 Le Mans」の量産サンプルをご紹介します。



1995年のル・マン24時間レースに出場した、49号車のウエスト・コンペティションと51号車のマッハワン・レーシングの2台のマクラーレンF1です。最終的には上野クリニックカラーの国際開発チームが優勝しましたが、95年のル・マンにおいて、この2台もレースを十分に盛り上げた存在でした。





まずこちらは、J.ニールセン/T.ブシャー/J.マスがドライブしました、ウエストチームの車両です。こちらは予選12位からスタートし、開始3時間目からトップを快走。その後、11時間目までトップを走行するも、13時間目でコースアウトをして惜しくもリタイアしてしまいました。タバコ広告NGのル・マンでは同じ名前のラジオ局、WEST FMがスポンサードとなり、ボディには周波数が描かれているマークも入っています(広告できないところでもなんとか広告する、チームのマネージメントが感じられてこういうのはおもしろいですね)。





そしてこちらはA.ウォレス/J.ベル/D.ベルがドライブしました、ハロッズカラー。こちらは予選13位からスタート後、序盤からトップ争いを演じ、ウエストチームが脱落した以降、12時間目からトップを快走しましたが、終盤に国際開発チームとWSCクラスのクラージュ・ポルシェに抜かれ、最終的に3位でフィニッシュしました。黄色いボディに中心にグリーンが入った、いかにもイギリスらしいクラシックなカラーリングのハロッズですが、こちらの車両もマクラーレンF1の代名詞的なカラーリングかと思います。私も含め、お好きな方も多いのではないでしょうか。

1995年のル・マンは雨に見舞われたため、レースはCカーから派生したオープンプロトのWSCクラスの車両とGTクラスの車両とで性能差が縮まり、レース展開は非常におもしろかったと思います。皆様もそれぞれ印象深いレースがあると思いますが、私の場合、95年のル・マンがそのひとつで、Cカーが消滅してGTカテゴリーが発足後、各メーカー・チームがそれぞれのスタンスで参戦し始め、95年のル・マンでまず出揃った感じがします。まだGT車両も手探りの状態でそれぞれに性能差はありましたが、車種も豊富で、この頃はいろいろな面でバランスが良かったように感じますね。
マクラーレンF1は次に96ル・マン仕様をご紹介します。それでは。

ザクスピード190E サンプル

本日は「Mercedes-Benz 190E #17/#18 1992 DTM」の量産サンプルをご紹介します。



モスグリーンとゴールドに施されたデーベルカラーのザクスピードチームの2台です。ソナックスカラーの車両と同じ1992年仕様を製作しました。
デーベルは日本ではあまり馴染みがないかもしれませんが、地元ドイツのビールメーカーで92年と93年の2年間に渡ってザクスピードチームにスポンサードをしていました。





カーナンバー18をドライブしたのはクルト・ティム。ティムはこの年、開幕戦のゾルダーを2連勝し、その後もコンスタントに上位入賞を続け、最終的にはルードヴィックに続き年間ランキング2位の成績を残しています。識別のためにティムの車両は前後のウィンドーの上部に黄色の帯が入っており、右側のみミラーの色がゴールドとなっています。





そしてこちらのカーナンバー17はローランド・アッシュがドライブ。アッシュは第4戦のニュルブルクリンクと第10戦のホッケンハイムでそれぞれ優勝を飾り、年間ランキングは6位となりました。
こちらの車両はルーフ上の突起物(無線の装置でしょうか?)がフロントウィンドー付近に移動しています。
ローランド・アッシュは94年までメルセデスに在籍。その後日産に移り、97/98年はSTWでプリメーラ、01年よりファルケンチームのニュル24時間プロジェクトに参加し、木下隆之選手と共にR34GT-Rを走らせました。

デーベルカラーは決して派手ではありませんが、個人的に好きなカラーリングのひとつで、いかにもドイツ的(ヨーロッパ的)なロゴの書体もいいですね。
今後のバリエーションとして190Eはベルリン2000カラーをご用意しています。こちらのほうもまた後日ご紹介します。それではまた。

2000GT トライアルサンプル

本日は「Toyota 2000GT 1966 Speed Trial」の量産サンプルをご紹介します。



1966年の国際速度記録に挑戦した際の車両をモデル化致しました。
2000GTの発売に先がけて10月1日から4日まで三昼夜にわたって茨城県谷田部の自動車高速試験場にて行われた、トヨタ自動車の国際速度記録の挑戦でしたが、途中、台風の影響により豪雨となりコンディションが悪化するも、2000GTは終始快調に走行をし、13の国際新記録(3つの世界新記録を含む)を樹立しました。



グリーンとイエローに施されたこの車両ですが、ごく初期に製作された280A/I型1号車というプロトタイプをベースにして製作された車両だそうです。基本的なシルエットは量産型の2000GTと同じですが、ボディ形状は共通部分は全く無く、モデルもすべて一から製作しました。



小型タイプのテールランプによってリアは特に量産型とは異なっている印象を受けます。大径タイヤの装着により、リアフェンダーも張り出しています。



ボンネット上には3つの熱気抜きの穴と、虫除けフラップが設けられています。ボンネットがグリーンなのは、ロングフードに反射する太陽の光によるドライバーの眼の疲れを防ぐためだったそうです。



リアハッチ内部には大型の燃料タンクが鎮座しています。現存されているレプリカ車両と当時画像の資料を基に電磁ポンプなども極力再現しました。



こちらはトヨタ博物館様特注の2000GT前期型モデルとのメモリアル2台セットの仕様になります。木製台座と限定プレートを採用しており、パッケージも特別仕様となっています。こちらもお楽しみください。



最後の画像は資料として入手しました、このスピードトライアルについての記事が書かれている「トヨタグラフ」66年10月号からです(トヨタ自動車の社内報のようなものでしょうか)。記事内にはこの速度記録に挑んだ5人のドライバーのそれぞれの感想が記載されていました。それぞれ当時どんな気持ちでご担当されていたのかがよくわかりました。また当たり前といえば当たり前なのですが、とにかく皆さん若いということ。鮒子田 寛さんにいたっては当時20才だったんですね。驚きました。
2000GTの記録はこの1年後、67年10月にポルシェによってすべて打ち破られてしまったのですが、66年のトヨタの快挙に一番動揺したのがポルシェだったそうです。2000GTのデビューの際にもPRに大きく貢献したのではないかと思います。
モデルの発売もまもなくとなります。お楽しみください。それではまた。

マクラーレン F1 GTR (#8)サンプル

本日は「McLaren F1 GTR (#8) 1995 Suzuka」の量産サンプルをご紹介します。



1995年 鈴鹿1000km時のウエストチームのマクラーレンF1です。この年の鈴鹿1000kmはBPRの第9戦に組み込まれ、マクラーレンF1/フェラーリF40/ポルシェ911等のレギュラーチームに加え、日産GT-R LM/ホンダNSX/マツダDG-3/サードMC8Rの日本車勢も出場し、ルマンの雰囲気がそのまま再現されました。



ドライブしたのはT.ブシャー/J.ニールセン。関谷正徳選手がドライブし、優勝を飾った上野クリニックカラーのマクラーレンに続き、2位でフィニッシュしました。
ウエストチームはヨーロッパラウンドでは白/赤のカラーリングを纏っていましたが、この鈴鹿と、中国珠海のアジアラウンドは黒/赤のダビドフカラーで出場しました。



鈴鹿1000kmではカタカナ表記のケルヒャーとなります。スーパースポーツに日本語ロゴのミスマッチ感が個人的に気に入っています。ケルヒャーはBPRの冠スポンサーを務めていました。



2枚形状の小型タイプのウィングと、格子状のリアグリルが95年仕様の特徴ですね。hpiブランドからは優勝車の上野クリニックカラーが同時リリースとなります。共にお楽しみ頂きたく思います。こちらのデカールキャンペーンも来月予定です。

ショートモデルのマクラーレンF1は今後もルマン仕様の上野クリニック・ハロッズ・ウエストなど量産予定をしています。引き続き、ご期待ください。それではまた。

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